先日、ある旅の帰路の途中で、ふと思い立って寄り道をしてきました。体温ほどの気温とチクチク痛い陽射しの中、今は亡き祖父母が住んでいた辺りをどうしても訪ねてみたいという衝動に抗えず、時刻表と地図を見ながらトボトボ探検してみました。子どもの頃の薄い記憶を辿って…
シオカラトンボが飛び交う一面フサフサの田んぼ、迷路のような水路と水門、頂上に小さな目印がある山、その麓に広がる墓地、水路に落ちそうな大きな柳の木、ちょっときつい坂を登りきったら祖父母の近所の家々、丘を貫く坂道の遊歩道、蝉時雨が異世界に誘いそうな林、丘の下を一望できるベンチ横の真っ赤な火の見やぐら…あぁこんな感じだった、と懐かしくなる景色も、いや思っていたのとちょっと違った、という体験も味わえる限り味わうことができました。
子どもの頃はもっと大きなエリアだと思っていたところが、汗だくで休み休み歩いても意外なほどあっさり回れてしまい、ちょっと拍子抜けの感もありましたが、もう生きている間にここへ来ることは二度とないだろうと思いつつ、何だか心のどこかでずっと気になっていたことがスッキリして、まさに「気が済んだ」という状態になりました。
途中まで一緒に旅していたかも?という感覚のあった亡き母も、いつの間にか気配を感じなくなっていました。彼女も気が済んだのかな?旅のあと、何かを卒業した感覚が残りました。
休み明けの出社日、おもむろに呼び出され寝耳に水の異動内示がありました。正直、仕掛中のプロジェクトがいくつかある中での異動は考えたくない、直視したくない!一緒にやっているメンバーの困惑する顔が浮かんで、どう伝えようか、どう仕事の落とし前をつけていこうか、かなり頭を抱えました。
一方で、少し冷めた自分のような存在?視点?頭の上というか奥のほうのところから、今私には大きな転機が訪れているのだ、卒業して別ステージに行くタイミングなのだ、というお告げ的な感覚が直観的に出てきて、あぁそうか、しゃーないな、卒業だとひとりで了解、腹落ちしたのでした。
とはいえ、実務的には厳しい時間が続きます。次のステージに無事ジャンプできるか、どうなることやら…
